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アベンジャーズ/インフィニティウォー 最凶最悪のラスボス サノスは本当に悪なのか

映画アベンジャーズ/インフィニティウォーを観てきました

映画は宇宙船の中で得体の知れないでっかい梅干しみたいな巨漢がマイティー・ソー、ハルク、ロキなどマーベルコミックに出てくる名だたるスーパーヒーローをボコボコにするところから始まる。

この梅干しみたいな男こそが「サノス」だ。

インフィニティ・ストーンの力

全て集めた状態で指ぱっちんをすると、宇宙の生命が半分消えるというマジックパワーを持っているのが今回の映画で争奪戦を繰り広げられるインフィニティ・ストーンだ。映画アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーでは、サノスがこのインフィニティ・ストーン獲得に奔走する様子が描かれている。

スペース・ストーン・・・・・四次元キューブ(テッセラクト)
マインド・ストーン・・・ロキの杖(セプター)→ヴィジョン
リアリティ・ストーン・・・エーテル
パワー・ストーン・・・オーブ
タイム・ストーン・・・アガモットの目(ネックレス)
ソウル・ストーン・・・今作に登場

そんな主人公サノスの一番の見せ場が「ソウル・ストーン」を手に入れるシーンだ。

サノスは様々な苦難を乗り越えてソウル・ストーンの目前にまで迫る。

しかしソウル・ストーンを手に入れるためには、最愛なる者の死が必要だと案内人に告げられるのだ。

ガモーラ(サノスの義娘)「ざまあないわね。あなたの野望は一生叶えられないのよ。だってあなたには愛する人なんてこの世にいないのだから」

ガモーラはサノスに故郷を破壊され、親を殺されたかわいそうな女だ。親を殺された後、ガモーラはサノスに拾われて育てられてきた。

サノスの野望が叶えられないと悟ったガモーラは安堵の表情を浮かべるが、そんなガモーラをみてサノスは涙を流す。

ガモーラ「まさか。そんなはずはないわ。あなたが私を愛しているだなんて・・・」

サノス「おれはもう二度と同じ過ちを繰り返さない。己の信念のためならどんな犠牲だって厭わない」

サノスは涙をこらえながら娘ガモーラをソウル・ストーンの生贄に捧げたのだ。

このシーンではサノスの「ヒト」としての一面が繊細に描かれている。しかしサノスはそんな「ヒトの心」を押し殺してまで達成しなければならない「信念」があったのだ。

指ぱっちんだ。

サノスは全宇宙の均衡を保とうとしていた

ガモーラ(サノスの義娘)が子供の頃に、サノスがガモーラに短刀のようなものを見せるシーンが有る。

サノスは人差し指の先に短刀を乗せる。左右にアンバランスに揺れる短刀を見せながらサノスはいった。

「この世界はグラグラと揺れている。どちらかに一方にでも傾いてしまうと一気に崩壊してしまう」(的な)

先にインフィニティ・ストーンを集めた状態で指ぱっちんをすること、それによって全宇宙の生命を半分にすることがサノスの野望であることは説明した。

しかしそれはあくまで「手段」に過ぎなかったのだ。

サノスの本当の目的とは、増えすぎた生命をリセットすることによって全宇宙の均衡を取り戻すことなのだ。

最凶最悪のラスボス サノスは本当に悪なのか

映画アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーには

「どうしてそんなひどいことができるのか」

と聞かれてサノスがこんなふうに答えるシーンがある。

「世界の均衡は崩れた。そのことに気づいているのも、その均衡を取り戻せるのも俺しかいない」

最愛の娘ガモーラを犠牲にしてまでサノスを突き動かしていたものの正体はまさに「使命感」である。

「使命」とは人間の根源的にして究極的な生きる意味

僕はよく、「人は何のために生きるのか」ということを考える。

もちろんこの問いに唯一の絶対解を見つけることなど決してできない。なぜならその問いに答えるためには「人はなぜ生まれたのか」という問題から解決せねばならず、その答えを見つけることは「宇宙はなぜ誕生したのか」という問いから始めなければならないからだ。

ただもう少し粒度を下げて考えることはできるかもしれない。
つまり「人は何のために」という問いではなく、「僕は何のために」という問いについて考えてみるのだ。

サノスの生き様から学ぶ、人生のコンパスの見つけ方

残念なことに僕自身、「僕は何のために生きるのか」という問に対して明確な答えを見つけることができていない。

だがしかし、僕は映画アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーを見て、サノスの生き様や信念から、この人生の命題との向き合い方のヒントを見つけたような気がする。

サノスについてもう一度まとめてみよう。

サノスの使命、つまり「サノスは何のために生きるのか」という問の答えは、「宇宙の生命を半分にして崩れかけた均衡を取り戻すこと」である。

そして、サノスがどのようにしてこの使命感を抱くに至ったのかというのは、先述したこの言葉に記されている。

「おれしかいない」

サノスにとって、宇宙の生命を半分にすることは絶対的な正義だった。
このことは個々人の価値観により異論もあるだろうが深くは言及しない。

同時に、サノスは生命の尊さも知っていた。これは娘ガモーラを生贄にするシーンで見せるサノスの弱い姿からもはっきりと見て取れる。

サノスにとって宇宙の生命を半分にするということは、それらを犠牲にして残りの生命全てを幸せにするということと同義であった。

サノスは、この正義を実現するために必要な宇宙の生命の半分という大きすぎる犠牲を実現できるのは、「おれしかいない」そう感じていたのだ。

そう、これこそが自分の生きる意味を見つけるためのコンパスだ。

Will・・・ やりたいこと
Can・・・ できること
Must・・・ やらなければならないこと

ここで重要になってくるのが「Can」
つまり、自分について正確に把握することだろう。

サノスにとっては、他の生命を犠牲にする残酷さ、それを実現するための圧倒的パワーというCanをもった自分にしか、このWillを成し遂げることはできないと感じていたのだ。

これが使命感誕生のロジックにほかならない。

もう少しWillを掘り下げておくと、恐らくWillには社会的Willと私的Willが存在する。どちらを重要視するかは人それぞれだ。

そしてそのWillを達成するための十分な資質を「Can」僕自身が持っているかどうかを理解することから始めればいいのだ。

大事なのは自分のCanでどのWillが達成できるか

Willは考えれば考えるほどたくさん思いつく。
それはきっとこの社会にも、そして僕自身にもまだまだ解決すべき問題だったたり追い求めたい理想に対して不十分なところがたくさんあるからだ。

一方で、Canというのは相応にきまっているようなきがする。
もちろん、事故研磨によってCanの可能性を大きくすることはできるが、時間が有限である以上は大きくできるCanの程度も一定決まっている。

つまり、自分のできること「Can」を正確に把握した上でどのWillを達成するかを選択することこそが、自分の生きる意味につながってくると僕は思うのだ。

ここでいう「Can」を正確に把握するとは、現在できることだけでなく、将来できるようになることまで、考えれるとより一層いいのかもしれない。

アベンジャーズは人生哲学そのものだ

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーを見て、「面白かったね」「サノスでかかったね」みたいな感想で終わってしまっていては非常にもったいない。

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーは、単なるアクション映画としてのエンターテイメントではなく、「人は何のために生きるのか」という究極的人生哲学を説いた非常に崇高なレッスンであるからだ。


「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」本予告